双龍蓮泉

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貂蝉
07.01 (Sat) 20 : 22
私たちを……この国を立派にお導きくださいませ


貂蝉(ちょうせん、生没年不詳)とは、後漢の臣王允の養女。中国では架空説・実在説両方ある。架空説では三国志に名前が登場しない事を根拠にしている。一方実在説では、史書三国志の「呂布が董卓の侍女と密通し、発覚をおそれて王允に相談した。董卓打倒を考えていた王允はこの際、董卓を討てと進言し呂布はそれを実行した。」を引き、この「董卓の侍女」こそがモデルで、後世の講談や物語において架空の名前をつけたとしている。元代の雑劇「錦雲堂美女連環計」では姓を任、名を紅昌と設定している。楊貴妃・西施・王昭君と並ぶ古代中国四大美人の一人。

三国志演義での話では、洛陽から長安に遷都し暴虐の限りを尽くす董卓を見かねた王允が董卓誅殺を行う為に養女である貂蝉(十六歳とされる)を使い、董卓の養子の呂布と仲違いさせる計画を立てた。

王允はまず呂布に貂蝉を謁見させ、その美貌に惚れさせる。だが、次に王允は呂布とは別に貂蝉を董卓に謁見させ、董卓に貂蝉を渡してしまう。怒った呂布が王允に詰問すると、「董卓には逆らえない」と言い繕い、その場を円く納めた。その後、呂布と貂蝉が度々密会していることに対して董卓が怒るが、腹臣の李儒の進言により貂蝉を呂布の元に送るように言う。だが、一方で貂蝉は董卓にも「乱暴者の呂布の元には行きたくない」と泣きつき、結局貂蝉は董卓の下を動かない。それに対して怒った呂布が王允と結託し、董卓を殺害した。これが『連環の計』(美女連環の計とも)である。

余談だが、一部三国志関連の小説や横山光輝の三国志などでは連環の計遂行後、貂蝉が自害するという設定になっている。

その後、貂蝉は呂布と共に行動し198年に呂布と共に曹操に捕らえられた。

その後の説としては、貂蝉を巡り曹操と関羽が争うが曹操が降りて関羽に譲る話もある。また、関羽が心の動揺を鎮めるため、貂蝉を斬ってしまう話もある。

民間伝承では貂蝉はひどく不美人で、王允が華佗にそのことを打ち明けたところ、華佗は西施の首と取替え、それでも度胸がなく行動に移せないのを嘆いたところ、今度は荊軻の肝と取り替えたという話がある。

引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
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