双龍蓮泉

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曹丕
06.28 (Wed) 20 : 50
曹丕
曹丕(そう ひ 187年 - 226年 在位220年 - 226年)は中国魏朝の初代皇帝。字は子桓。諡号は文帝。廟号は世祖・太宗。父曹操の勢力を受け継ぎ、後漢献帝から禅譲を受けて魏王朝を開いた。子は曹叡・曹霖・曹協・曹蕤・曹鑒・曹礼・曹邕・曹貢・曹儼・東郷公主などがいる。著書に『典論』がある。

曹操と卞氏との長子として生まれ、8歳の時に文章を書き始め、騎射や剣術を得意とした。初めは庶子(実質的には三男)の一人として、わずか11歳で父・曹操の軍中に従軍していた。197年に曹操の正室の丁氏が養子として育てて嫡男として扱われていた異母長兄の曹昂(生母は劉氏)が戦死し、次兄の曹鑠が相次いで病死すると、これがきっかけで丁氏が曹操と離別する。これによって、一介の側室でしかなかった生母卞氏は曹操の次の正室に迎えられ、以後、曹丕は曹操の嫡子として扱われ文武両道の素質を持った人物に成長する事となった。

217年、父・曹操から太子に正式に指名される。一般にはこの時弟曹植と激しく後継争いをしたと言われるが、実際にそうだったかは怪しまれる。むしろ、兄弟の側近たちによる権力闘争であったという方が、正確であろう。

220年に父・曹操が逝去すると、魏王に即位し丞相職の地位を受け継ぎ、さらに献帝に禅譲を迫って皇帝の座に即いた。ここで後漢が滅亡し、三国時代に入ることとなる。曹丕は内政の諸制度を整え、父から受け継いだ魏を安定勢力に導いた。特に陳羣の献言による九品官人法の制定は後の世に長く受け継がれた。 一方、外政面では三度に渡り呉に出兵したが、陸遜の善戦であまり芳しい成果は挙げられなかった。ちなみに三国志演義では蜀呉同盟に怒り、呉に対して224年に大軍で呉を水軍で攻めるが呉将徐盛に大敗、赤壁同様の被害を出し、そこで張遼を失ったと記してあるがもちろん創作である。

226年に風邪を拗らせて肺炎に陥り、そのまま逝去した。齢41。死ぬ際には、司馬懿、曹真、陳羣、或いは曹休らに皇太子の曹叡の後を託し、墓には財宝を入れるなと言い残した。ある小説などでは一方的な理由で殺した甄氏や襄陽・樊城の戦いで関羽に命乞いをしてる絵を見せ憤死させた于禁に呪い殺されたというのもある。 後漢から簒奪を行った事と、蜀漢正統論の影響からか、曹丕の評判は非常に悪い。袁紹の残党掃討戦の時に、袁紹の息子袁煕の妻、甄氏を奪った事や、曹植を冷遇した事が過剰に演出されている。それ以外にも、曹操の代から長年仕えていた于禁を憤死させた際の顛末や、曹操の功臣であり親戚でもある曹洪を、過去に金貸しを頼んで断られた恨みから、曹操死後に彼の役職を取り上げたりするなど、陰険な性格を物語る逸話が数多く残っている。

曹操は、幼児の頃から聡明な上に心優しく、家臣からの信望も厚く将来を期待されていた八男の曹沖を溺愛し一時は曹丕よりも曹沖の後継ぎを考えていた。だが、208年にわずか13歳で曹沖は早世してしまい、曹操はその死を大いに悲しみこの時、曹操は曹丕に対して「倉舒(曹沖)の死はわしにとっては大きな悲しみだが、お前にとっては大きな喜びだ。なにしろ、これでお前がわしの後継者になれるのだからな。」と強烈な皮肉を言ったといわれている。

曹操、曹植と同じように文人としても知られ、多くの優れた詩を残し、『文選』に収録されている。その作風は優美で論理的。「燕歌行」が有名である。(岩波文庫 中国名詩選 上巻収録)著書の中で「文学は経国の大業、不朽の盛事」と言った事は有名。 一方で、大変な現実主義・合理主義であったらしく、自らの葬儀に関しては「玉衣や副葬品は不用。墓を飾り、床を敷くのもならぬ。人は死ねば等しく骨となり、もはや骨に痛覚はないのだから」と言い残しており、遺体の埋葬には非常に気を遣う中国の考え方とは対極にある言葉を残している。

文帝は、曹植をはじめとする皇親を冷遇し、転封を繰り返して勢力を削いだことで有名であり、藩屏の専横で皇室が侵されるのを警戒した措置であった。しかし、これによって廷臣の勢力の比重が強まり、司馬一族が台頭する要因となったのは否めない。晩年の曹植はしばしば、皇族を団結させて廷臣の勢力に対抗させるべき旨を上奏しているが、容れられていない。 相対的に見て、文帝が神経質で冷酷な性格であった点は否めないが、非凡で有能な人物であったのも確実である。彼の治世中、大きな戦争はなく、国内はよく治まっていたし、目立った粛清なども見られない。三国志の編者・陳寿は「好悪の激しすぎる点を改め、より寛大な器量を持ち合わせていれば、堯舜に匹敵する帝王となっていただろう」と書いているが、肯われることである。

引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

〔感想〕
PS2「真・三國無双4」からプレーヤー化した。
攻撃モーションは、遅め。でも慣れれば平気でしょう。
無双キャラの中で好きなキャラの部類に入ります゚.+:。(ノ^∇^)ノ゚.+:。
冷ための態度が素敵Σ(゚ロ゚;)

真・三國無双4 セリフ集↓

曹 丕 伝
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官渡の戦い ドラマパート
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私は曹丕。
字は子桓という。

父、曹操はその野心に突き動かされ、天地を統べる戦に乗り出した。
その先、見届けるが私の義務だ…。

まず排除すべきは、漢室の亡者・袁紹。

自負と器量が噛み合わぬ、哀れな男よ。
せめて己の描いた幻想と共に葬ってやるか。

父よ、あのような凡俗が旧友とは、哀れな。

さすがに奴とあなたでは、格が違うが……。

私は、あなたたち古き因習を越えていこう。
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概況
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<曹操>
乱世は来たれり! 時代に従い、今こそ天下の掌握に乗り出す時よ。
子桓、お主は覇道を歩む者の子として、この乱世を進め。

我が軍は、袁紹と雌雄を決すべく、官渡へと軍を進める。
敵は大軍とはいえ、率いるのが袁紹では弱卒の群れに過ぎん。

子桓、官渡の城の守りはお前に任せる。
このわしを継ぐ者として、誰もが納得する成果をあげてみせよ。よいな?
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評定
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<曹操>
袁紹は死んだ。
名に惑い、己の進む道を誤った奴と、名より実を取り、己の道を進んだわし……。
勝敗は明らかだったな。

だが、まだこの天下には袁紹など比ぶべくもない大器が残っている。
来るべきその漢との戦に備え、戦支度を整えておかねばな。
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赤壁の戦い ドラマパート
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官渡にて袁紹を討った後、父が覇道の妨げと見たのは劉備と孫権だった。

父の脅威に対し、奴らは連合し、赤壁で我が軍に抗うようだ。

我らの大船団を前に、敵は静寂を守っている。

だが、この赤壁をあえて戦いの地に選んだからには、奇計を巡らしているに違いない。

策の気配あらば、直ちにその芽を摘めばよい。

しょせん、劉備と孫権のにわか連合だ。

計が成らねば、音を立てて崩壊しよう。
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概況
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<曹操>
子桓よ、先の戦での働き、実に見事であった。
その冷静な戦況判断と舞うがごとき武の冴え、今後の戦でもいかんなく発揮せよ。

次に討つべきは劉備であるが、我らの進軍を事前に察知し、
孫権と同盟を組みおった。
この赤壁で我らを迎え撃つつもりのようだな。

天下に曹操あり、それを奴らに思い知らせる。
子桓よ、その鋭き目で戦況を見極めよ。
その知勇で急ごしらえの同盟にくさびを打ち込め!
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評定
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<曹操>
孫・劉同盟といえど、しょせん小勢力同士。
我が軍の前には無力よ。
奴らは得意の水上戦で負けて、さぞ悔しかろうな。

だが、劉備と孫権を完全に滅ぼしたわけではない。
奴らは結託して、何らかの手を打ってくるだろう。
警戒はしておかねばな。
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街亭の戦い ドラマパート
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赤壁での戦いの後、曹魏は三分された天下のひとつを占めることになった。

そして、我が父・曹孟徳の天命は尽き果てる。

父よ、道の途中で果てたか。
天下をひとつにまとめるまでには至らなかったようだな。

我が天を掴む様、あの世で見ているがいい……。

まずは、己が身の程も知らず、北伐と吠える蜀を黙らせる。

この曹子桓の前に立つ者よ、その愚かさを思い知らせてやろう。
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概況
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<司馬懿>
曹丕殿、新しき曹魏の誕生を、心よりお喜び申し上げます。
此度の戦、この司馬仲達が、あなたに勝利をお贈りいたします。

街亭に布陣するは、諸葛亮の弟子・馬謖。
山頂に陣取り、逆落としを仕掛けるつもりかと。
小知に頼り、自ら敗戦を待つとは愚かな……。

山頂への道を断ち、孤立させてやりましょう。
開戦時の猛攻に耐え、一気に巻き返すのです。
曹丕殿、あなたの時代が今、始まります!
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評定
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<曹丕>
馬謖を破り、街亭を占拠した。
思い上がった愚か者が勝てる戦など、この乱世にあるはずもない。
この勝利はただの必然だ。

この戦の収穫は、蜀の人材不足を確信できたことか。
後は我が軍の精兵でじっくりと追いつめ、息の根を止めればいいだろう。
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五丈原の戦い ドラマパート
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街亭の勝利は過程に過ぎん。
此度の戦で、蜀の命脈を永遠に絶つ。

父の時代から覇を競った仲だ。
私自ら丁重に葬ってやろう。

敵は攻めに逸っているようだ。

後がない者の攻撃には、十分注意せねばなるまい。

だが、この戦いに命運をかけるは、我らも同じ。

曹魏と蜀漢……数多の因縁も、この五丈原で昇華させる。

父よ、あなたの覇道への執念もここで消し去ってみせよう。
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概況
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<司馬懿>
此度の戦、戦場は五丈原の地となります。
蜀は国家を挙げて、この戦に臨む様子。
雌雄を決する戦となりましょう。

しかし、諸葛亮のこの攻め、何やら焦りにも似たものを感じますな……。
もはや、奴の命は……ならば、それはまさに好機。

ここは敵が自壊するのを待つが上策。
まずは守りに徹しましょう。
そして、機が熟した時に打って出て、蜀を葬るのです。
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評定
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<司馬懿>
焦っている軍を討つことは、たやすいこと。
蜀軍と諸葛亮、二つの星はこの五丈原に落ちる宿命だったのだ。

孫呉の命運も、すでに曹魏が握っている。
もはや焦る必要はない。
軍備を整えて、ゆっくりと追い込んでやろう。
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合肥新城の戦い ドラマパート
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蜀の滅亡と共に、諸葛亮の唱えた天下三分も崩れ去った。

これはひとつの時代の終焉…
そして、新しき時代の黎明でもあろう。

我が曹魏にとって、孫呉はこの地上に残った唯一の障壁。

今こそこれを退け、曹魏の凱歌を高らかに鳴り響かせようぞ。

この戦いに勝利すれば、乱世は曹魏の治世となる。

父よ、見ているがいい。

天下を統べる者とは、かくあるものだ……。
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概況
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<司馬懿>
孫呉め、我らが蜀との決戦にかまけて隙を作ってるとでも思ったようですな。
今こそ孫呉を根絶やしにする好機です。

今、敵は地上に展開しているのみですが……。
孫呉はこれを決戦と考え、総力で挑んでくるはず。
この程度で終わるとは思えません。

殿にはまず、御自ら城を守っていただきます。
その姿に将兵は奮い立ち、勝利に向かって猛進しましょう。
さあ、今こそ曹魏の天下を!
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評定
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<曹丕>
孫呉め、さすがに虎と自称するだけはある。
我が軍をこれほどまでに苦しめるとは……。
時代の終焉にふさわしい戦であったな。

蜀が滅び、孫呉も潰えた。
もはや私を遮る者はなく、天下は曹魏の下にひとつとなる。
ふ……統べてしまえばあっけないものだ。


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