双龍蓮泉

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鏡王女について
03.17 (Fri) 15 : 11
秋山の、木(こ)の下隠(がく)り、行く水の、我れこそ益さめ、御思ひよりは
【意味】
秋山の木陰を流れて行く水のように静かに、わたくしのほうこそ、あなたさまのことをもっともっと思っていますわ。

玉櫛笥(たまくしげ)覆ふを安み明けていなば君が名はあれど我が名し惜しも
【意味】
お化粧箱を蓋で覆うように、二人の仲を隠すのはわけないと、夜が明けきってからお帰りになるなんて。そんなことをなさったら、あなたの評判が立つのはともかく、私の浮名の立つのが惜しいですわ。

風をだに恋ふるは羨(とも)し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ
【意味】
訪れたのが風にすぎなかったとしても、恋しがる相手がいるのは羨ましい。風だけでも、来ないかと待つ相手がいるなら、何を歎くことがありましょう。

神奈備(かむなび)の石瀬(いはせ)の社(もり)の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる
【意味】
神なびの石瀬の杜の呼子鳥よ、そんなにひどく鳴かないで。私の恋心がつのってしまう。

【鏡王女について】
鏡王女(かがみのおおきみ、? - 天武天皇12年7月5日(683年8月5日))は藤原鎌足の正妻。代表的な万葉歌人。『万葉集』では「鏡王女」・『日本書紀』では、「鏡姫王」と記されている。鏡女王とも呼ばれる。
鏡王女の素性は額田王以上に謎に包まれており、額田王の姉という説があるが、『日本書紀』には二人が姉妹だという記述はなく、確証はない。そのため、近年では二人の姉妹説を積極的に支持する研究者は見られなくなってきているようだ。しかし、額田王の父・鏡王との血縁関係はなかったとしても、同じ「鏡」という名が付いている事から、同じく、鏡を作る氏族に養育された可能性はある。 また、鏡王女には舒明天皇の皇女だという説もある。最初、天智天皇の妃だったが、後に藤原鎌足の正妻となる。鎌足の病気平癒を祈り、天智天皇8年(669年)に山階寺(後の興福寺)を建立した。『日本書紀』の七月の項に「丙戌の己丑(四日)に、天皇、鏡姫王の家に幸して、病を訊ひたまふ。庚寅(五日)に、鏡姫王薨せぬ」とあり、天武天皇が見舞いに来たが、その翌日の天武天皇12年7月5日に亡くなった事がわかる。『万葉集』には四首の歌が収録されている。天智天皇・額田王・藤原鎌足との、歌の問答が残されている。「神奈備の石瀬の社の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる」は、「神奈備の石瀬の社の呼子鳥よ、そんなに激しく鳴かないでおくれ。私の恋しい思いが募るばかりだから」という意味である。この歌は、鏡王女が鎌足の死後、彼を思って作った歌だという説がある。
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