双龍蓮泉

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但馬皇女について
03.16 (Thu) 15 : 03
(この歌は、但馬皇女が穂積皇子への恋心を詠んだものです。)
秋の田の、穂向きの寄れる、片寄りに、君に寄りなな、言痛(こちた)くありとも
【意味】
秋の田の稲穂が片方に傾くように、あなたに寄り添っていたい。たとえ人がなんと噂しようとも。
詠み人:但馬皇女 万葉集より

(この歌は、穂積皇子が志賀の山寺に遣わされたときに、但馬皇女が穂積皇子を想って詠んだものです。)
後れ居て、恋ひつつあらずは、追ひ及かむ、道の隈廻に、標結へ、我が背
【意味】
あとに一人残されて、あなたのことを想っているよりは、あなたを追いかけて行きます。だから、道のかどかどに印(しるし)をつけてください、皇子(みこ)さま。

(この歌は、但馬皇女が穂積皇子に会いにいったときの歌です。)
人言を繁み、言痛(こちた)み、おのが世に、いまだ渡らぬ、朝川渡る
【意味】
人の噂が辛くても、いえそれだからこそ。生まれて初めて、あの人に会うために冷たい水の流れる朝川を渡ります。

【但馬皇女について】
生没年 ?~708(和銅1)
天武天皇の皇女。母は氷上娘(中臣鎌足の女)。
持統十年(A.D.696)以前、「但馬皇女の高市皇子の宮に在す時、穂積皇子を思ふ御作歌」他3首(02/0114~0116)がある。異母兄高市皇子・穂積皇子との間で三角関係があったらしい。0115題詞には「穂積皇子に勅して近江志賀寺に遣はす時」とあり、また0116には穂積と但馬の密通が発覚したとある。穂積の志賀寺派遣を、但馬皇女との密通発覚により勅勘を被ったものとみる説もある。和銅一年(A.D.708)6.25、薨ず。この年冬、穂積皇子がよんだ悲傷歌がある(02/0203)。万葉には他に、巻8に1首あり(08/1515)、また04/0505の安倍女郎の歌を、藤原浜成撰『歌経標式』は但馬皇女の作とする。
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